こんにちは、HANAスクール担当のこまです。

先日、父からあるアルバムを譲り受けました。父は学生時代からアイスホッケーをしていたのですが、大学生の頃に韓国遠征に行った時のアルバムでした。

父から譲り受けたアルバム

父が先輩から譲り受けた、1968年のアイスホッケー韓国親善試合での訪問時の記録が記されたアルバムは、なんと7冊もありました。

父の年齢を考えずに、「へえ!いつ行ったの?」と聞くと、「大学2年の頃だから昭和40年かな」と言われ、西暦に直して計算すると、1968年……なんと日韓国交正常化3年後の出来事でした。

そんな時期に遠征に至った経緯が気になり聞いてみると、父の先輩が戦時中に韓国に住んでいたらしく日本に戻ってからも再び韓国に行きたいとずっと思っていたそうです。そんな思いから国交正常化すぐに韓国の各大学との日韓アイスホッケー親善試合を組むことに成功し、遠征が実現したそうです。

法政大学アイスホッケー韓国遠征記事(1968年)

当時は記事になるほど珍しい出来事だったのでしょうか。

私が韓国学を専攻していたことから先輩のご自宅にあったアルバムを奥様から父が譲り受けたものなので、父の記憶と私の知識ではどこの写真なのか分からないものも多かったです。ご生前に直接お話をお伺いすることができず、非常に残念です。

今回はそんな貴重なアルバムの中から1968年の韓国の街並みを皆さんに数枚ご紹介したいと思います。父の先輩が韓国に住んでいた当時の思い出の場所を多く訪れたようで、当時の地名がメモで記されていました。※本ブログ写真の無断転用はご遠慮ください

まずはソウル駅。今もこちらの駅舎は残されているので、すぐに分かる方も多いはず。

1968年のソウル駅

1968年のソウル駅

お次は南大門。当時は南大門の前を路面電車が走っていたんですね!

1968年の南大門

1968年の南大門

こちらは南山を撮った写真。南山タワーの完成は1971年とのことなので、1968年のこの写真にはまだタワーがありません。

1968年の南山

1968年の南山

龍山の三角地の街並み。今や高層ビルやマンションが立ち並ぶこのエリアも当時はこんな風景だったようです。

1968年の龍山三角地

1968年の龍山三角地

さて、こちらは今も変わらずそのままの姿であるため、分かる方も多いのでは? そう、明洞聖堂です。

1968年の明洞聖堂

1968年の明洞聖堂

地方にも足を伸ばしていたようですが、「もしかしたら先輩だけで行ったのかも?」と父は記憶にない模様(笑)

1968年の大邱駅など

1968年の大邱駅など

中央日報や滞在先、交流先の大学などソウルの街中の至る所に日本からアイスホッケーの親善試合に訪れたことを歓迎する垂れ幕が掲げられていたようです。

法政大学アイスホッケー部韓国遠征時の街中に掲げられた垂れ幕(1968年)

滞在先のホテルに掲げられた垂れ幕(1968年)

ソウル大学校、延世大学校、高麗大学校、慶熙大学校、漢陽大学校や陸軍士官学校などを訪問したそうで、景福宮や昌徳宮などしっかり観光している写真もたくさんありました。さらには市長と会食もしていたのでしょうか。父の記憶が曖昧なのが残念です(笑)

法政大学アイスホッケー部韓国遠征時の写真の一部(1968年)

法政大学アイスホッケー部韓国遠征時の写真の一部(1968年)


1968年の韓国の様子はいかがでしたでしょうか? 他にもたくさん貴重な写真がありましたが、私の力だけではどこの写真なのか分からないものも多かったので解明できたら、また皆さんにご紹介したいと思います。