※このコーナーは、『韓国語ジャーナル hana』の定期購読者に送付されている会報誌『hana通信』の「わっしーのマニアック韓国語」を再編集したものです。

【マニアック韓国語 Vol.10】助詞 ∼만の話

助詞~만には、基本的にどの学習書も「~だけ」という日本語訳が付いていると思います。例えば、한 번만 가 봤다は「一度だけ行ったことがある」ですね。ですが、場合によって~만を常に「~だけ」と訳すのではなく、他の訳し方をすると、より自然な日本語訳になることがあります。

例えば、주말에 뭐 했어?(週末何してた?)と聞かれて、집에서 영화만 봤다と答えたとしたら、どう訳しましょう? 

一つは「家で映画だけ見てた」です。これでも間違いではありませんが、表したいのは「他のことはせず、それをずっとしていた」ということなので、「映画ばかり見てた」と訳してもよさそうですね。「~だけ」と「~ばかり」を比べてみて、「~ばかり」がうまくいきそうなら、こちらで訳してもいいでしょう。

また「映画鑑賞以外のことをしていない」ことに着目して、영화만 봤다を「映画しか見てない」と訳すこともできます。ここで「~しか」は~밖에ではないのかと思う方がいると思います。

実は~밖에と「~しか」には使い方に少し違いがあり、日本語の「~しか」が全て~밖에と訳せるわけではありません。~밖에はもともと「~の他に、~以外に」という意味なので、もし韓国語で영화밖에 안 봤다(映画以外は見ていない)と言うと、他の選択肢として想定されるのは演劇やドラマなど、보다(見る)を使うものに限定されてしまいます。

ところが、日本語で「映画しか見ていない」と言うと、演劇やドラマのことも想定しますが、それに加えて上記のように「映画鑑賞以外のこと(買い物、旅行など)をしていない」という意味も表すことができます。~밖에はこうした場合に使えないので、「(買い物などはせずに)映画しか見ていない」と言いたいときは、영화만 봤다を使うことになります。

ここまで、영화만 봤다という例を使って「~だけ」「~ばかり」「~しか(~しない)」という3通りの訳し方を見ました。「他の選択肢がない」「他の選択肢を選ばない」という意味は、どれも共通しています。

さて、これらとは少し違った~만の用法として、~만 -면/으면という形があります。

この形は、後に来る内容によって「~さえ~すれば」とも訳せますし、「~を~するといつも」とも訳せます。밥만 먹으면 살 수 있다(ご飯さえ食べられれば生きていける)、밥만 먹으면 졸린다(ご飯を食べるといつも眠くなる)のような例があります。

この~만は最低条件を表すもので、「他の選択肢はともかく、これさえ満たせば」という意味を表します。日本語では同じ意味を表すときに「~さえ」を使いますが、「~するといつも」の意味で使うことはまれで、「暇さえあれば」などの固定化した表現しかありません。

韓国語では、학교만 가면(学校に行くといつも)や그 사람만 보면(その人に会うといつも)など、幅広く使うことができます。

さまざまな意味を挙げましたが、~만の基本的な意味は「線を引く」ことであると言えるでしょう。複数ある選択肢の中から、線引きをして一部のみを採用すると考えれば、「~だけ」「~ばかり」「~しか(~しない)」になります。

また、選択肢の優先順位を考え、その最低ラインを引くと考えれば、最低条件の「~さえ(~すれば)」になります。複雑に見えますが、いろいろな~만も根っこは一緒だということです。